コンシューマーゲームを作っている企画の人ほど、ソーシャルゲームを作れない、ということはよく言われるし、一面の事実なんだけど、両方やれないということも無いんだよね。結局、人の心理やエモーションにつけこむのは同じなんだから。
コンシューマーゲームの開発者の一部が嫌悪感を感じるのは、ゲームデザインと課金誘導が不可分に結びついてしまう構造があるからなんだろうけど、ゲームデザインはそもそも商売(ビジネスモデル)と不可分なんだよね。
アーケードゲームの難易度設定だって、1プレイごとにコインを入れてもらう仕組みだから、ああなったわけで。コンシューマーゲームのゲームデザインが自由度が高かったのは、最初にお金を出してもらうモデルだったから。難易度設計が課金から自由になっていたのが大きい。
お金を最初に出してもらうから、対価に見合わないゲームが批判されたり、クソゲーなんて言葉も生まれたわけだけど。そのモデルが長らく続いて、開発者が慣れきってしまったってのはある。制作者が課金の事を意識せず、「できる限り長く、楽しく遊んでもらうことに集中できる」という点で、パッケージビジネスは秀逸だった。けれども、売れるゲームと面白いゲームの乖離が徐々に進んでいって、売るための努力とコストが巨大化してしまった。そして開発費が高騰して、売れなかった時のリスクも増大していった。
コンシューマーゲーム開発者のソーシャルゲームの課金に対する嫌悪感って、結局、ユーザーと制作者の”ビジネスモデル”に対する”慣れ”の問題にすぎないと思う。
50円で1プレイできるアーケードと、5000円出さなければ遊ぶことができないというコンシューマーと、500円出せば有利になるソーシャルゲームと、どれが正しいわけでも、どれかが拝金主義な訳でもない。
ただ、不可避の変化として、無料プレイが拡大している流れは止められない。パッケージゲームでも、無料体験版は当たり前でしょ。ディスクで体験版配っていた頃は無料で配るなんてすごい!だったけど、今となっては無料で体験版配るのが当たり前。
パッケージゲームにおいては、5000円出して買って、15分で挫折するような事もありえるし、かつてはありえた。5000円出して買った人が5000円分楽しめたかどうかって、何の保証もしてなかったわけです。ゲームが下手で10分の1しか進めない人も、ゲームが上手くて最後まで行けた人、両方から同じ金額をもらうことの是非ってのは、もはや議論されてない。
ソーシャルゲームというのは、開発と運営が分けがたいのがポイントで、運営というのはコンビニなんですよ。数字に追われているように見えるのはそのせい。運営チームの構築を目下の優先課題と考えてるんだけど、「ソーシャルゲームの運営はコンビニだよ」と言っています。それがわからない人とはやれない。それは比喩ではなくて、24時間年中無休じゃないといけない。ある意味、外食産業を見習わないといけないんだろうな、と思う(いいイメージ持って無い人も少なくないだろうけど)。開発はもちろん別ですよ。しかし運営チームは、そういうチームでないと勝てない。そういう事を痛感しています。
— 岡本 基 (obakemogura) on Twitter (via igi)(via shavrena)
